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福岡家庭裁判所久留米支部 昭和57年(家)456号 審判 1982年10月13日

本籍及び住所 福岡県久留米市

申立人 三浦ナホコ

国籍 米国(ノースダコタ州) 住所 福岡県久留米市

事件本人 イサベラ・エム・シンプソン

主文

事件本人イサベラ・エム・シンプソンの後見人として申立人を選任する。

理由

一  審理の結果によるとつぎの事実が認められる。

1  事件本人はアメリカ合衆国ノースダコタ州を本国とするジェームス・ルイス・シンプソンを父とし、日本人三浦文子を母として、両者の婚姻中に出生した嫡出子でアメリカ合衆国籍を有する者であり、申立人は三浦文子の母である。

2  事件本人の父ジェームス・ルイス・シンプソンはアメリカ軍人として同軍厚木基地に勤務していたが、三浦文子と知り合い、一九六七年二月二四日同女と結婚した。事件本人は一九六八年二月一三日神奈川県座間市で出生した。ジェームス・ルイス・シンプソンは間もなく沖縄に転属し、以来三浦文子は事件本人と共に申立人方に住所を移し、沖縄と往来していたが、その後、夫シンプソンがアメリカ合衆国ノースダコタ州に帰還したので、事件本人も連れて渡米し、同州で夫婦としての共同生活をはじめた。

3  渡米後の夫婦関係は、当初の間は格別問題もなかつたが、間もなく両者間に軋轢を生じた模様であり、文子は一九七〇年五月ごろ事件本人と共に帰国した。

4  文子は、帰国後事件本人を知人南川剛に預けて下関市や九州各地を転々とし、水商売に従事して生計をたてていたのであるが、一九八二年一月一九日佐賀県藤津郡○○町で急死した。

5  その間、文子とジェームス・ルイス・シンプソンの婚姻については、夫シンプソンから離婚の訴が提起され、これを認容するアメリカ合衆国ノースダコタ州キャス郡第一司法区地方裁判所の裁判が一九七一年四月二九日確定している。しかし、その後文子や事件本人に対しジェームス・ルイス・シンプソンからの消息はなく、その所在も明らかでない。

6  以上の経過を経て、事件本人は母文子死亡後の一九八二年一月、無資産の状態で祖母である申立人に引取られて養育され、現在中学三年に在学中である。申立人は今後引続き事件本人を監護養育する意思を有し、事件本人のため帰化手続をする準備をしており、その後見人に選任されることを望んで本件申立に及んだものであり、事件本人も申立人が後見人となることを望んでいる。

二1  上記認定したところによれば、本件はアメリカ合衆国籍を有する事件本人の後見にかかる事件であるところ、事件本人は前示したところにより福岡県久留米市に住所を有するものと認められるので、日本国裁判所が本件についての裁判権を有し、かつ、当裁判所が管轄権を有する。

2  法例二三条一項によれば、後見の準拠法は被後見人の本国法とされているが、本件においては法例二七条三項に従いアメリカ合衆国ノースダコタ州の法律が、その本国法となる。

3  そこで同州の法律をみてみると、未成年者とは一八歳未満の者とされ、後見については、監護に関するすべての親権が終了するか、またはそれが周囲の事情、もしくは裁判所の命令によつて行われていない場合、裁判所は未婚の未成年者のため後見人を選任することができる旨の規定がある。

4  本件の場合、事件本人の母はすでに死亡し、父は所在不明であり、そのため親権が行われていない状態にあることが明らかであるし、なお、事件本人のため後見人が就任した事情もうかがえないので、事件本人の本国法によれば事件本人のため後見人を選任する必要があるものと解されるのであり、後見開始の原因があるといえる。

5  そして、本件では被後見人たるべき事件本人は日本国内に居住しており、後見の事務を行う者もいないのであるから法例二三条二項に従い、日本国法により後見人を選任すべきである。

6  前記1で認定の諸事情にかんがみると、申立人を事件本人の後見人に選任することが相当であるから、主文のとおり審判する。

(家事審判官 仲吉良榮)

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